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カオリ・ナラ・ターナーさんの夫はハリウッドで活躍したメイクアップアーティストのビル・ターナーさん。出会いの場は香港、しかもあの名優スティーブ・マックイーンが仲人を務めたという信じられないようなエピソードが残っています。
本記事では、ビル・ターナーさんのプロフィールや馴れ初め、結婚後の生活、そしてカオリさんがダンサーからメイクアップアーティストへと転身した経緯まで詳しく解説します。さらに、日本人初のエミー賞受賞の全貌や、幻のコスメ「スターオブザカラー」のプロデュース秘話、90歳を超えてなお輝き続けるカオリさんの現在まで、まるごとお伝えします。
カオリ・ナラ・ターナーの夫・ビル・ターナーとは?香港で生まれた運命の出会い
- 夫・ビル・ターナーのプロフィール!ハリウッドのメイクアップアーティスト
- 馴れ初めは香港!スティーブ・マックイーン主演映画の撮影が縁を結んだ
- スティーブ・マックイーンが仲人!信じられない結婚秘話
- 結婚後の生活!ラスベガスとLAを行き来した夫婦の絆
- 夫との出会いが人生を変えた!ダンサーからメイクアップアーティストへの転身
夫・ビル・ターナーのプロフィール!ハリウッドのメイクアップアーティスト
カオリ・ナラ・ターナーさんの夫、ビル・ターナー(Bill Turner)さんは、ハリウッドを拠点に活躍したプロのメイクアップアーティスト。
1960年代当時、ハリウッドでは映画の撮影現場にメイクアップアーティストが欠かせない存在で、ビルさんはそのなかでも第一線で仕事をこなしていたとされています。
ビルさんが関わった代表的な作品として知られているのが、1966年公開のスティーブ・マックイーン主演映画「戦艦サンパブロ(The Sand Pebbles)」です。この映画は中国を舞台にした大作で、スティーブ・マックイーンがアカデミー賞主演男優賞にノミネートされた代表作のひとつ。ビルさんはこの映画のメイクアップスタッフとして香港ロケに参加しており、その現場でカオリさんと運命の出会いを果たすことになります。
ビルさんの具体的な出身地や生年月日などの詳細なプロフィールは公開されていませんが、ハリウッドのメイクアップ業界では実力と信頼を兼ね備えた職人として知られていました。カオリさんとの結婚後は、ふたりで共にメイクアップの世界を切り開いていき、カオリさんのキャリアを支え続けました。ビルさんは1992年に逝去されており、カオリさんはその後もお一人でハリウッドのメイクアップアーティストとして活動を続けていかれます。
ビル・ターナーさんの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ビル・ターナー(Bill Turner) |
| 職業 | ハリウッドのメイクアップアーティスト |
| 代表作品 | 戦艦サンパブロ(1966年)など |
| カオリさんとの出会い | 1965年・香港にて |
| 結婚年 | 1965年 |
| 逝去 | 1992年 |
馴れ初めは香港!スティーブ・マックイーン主演映画の撮影が縁を結んだ
カオリさんとビル・ターナーさんの出会いは、1965年の香港でした。当時カオリさんは31歳のプロのダンサーとして活躍しており、香港でパフォーマンスを披露していました。一方のビルさんは、スティーブ・マックイーン主演の大作映画「戦艦サンパブロ」のメイクアップスタッフとして、香港ロケに帯同していました。

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この映画の撮影は、中国近代史を背景にした壮大なスケールの作品で、香港近郊でもロケが行われていました。カオリさんが香港でステージに立っていたちょうどその時期、ビルさんの撮影チームも現地に滞在していたのです。ふたつの全く異なる世界が香港という地で交差し、運命の出会いが生まれました。
ここ、すごいですよね。日本生まれのダンサーと、ハリウッドのメイクアップアーティストが、遠く離れた香港という場所で偶然に出会うなんて、まるで映画のワンシーンのようです。カオリさんの回想によれば、初めてビルさんに会ったとき、その真摯なプロフェッショナルぶりに強く惹かれたといいます。お互いに芸術や表現を通じた仕事に携わっているという共通点も、ふたりの距離を縮める大きな要素だったのでしょう。
当時のハリウッド映画の撮影現場は、世界各地を巡るロケを重ねており、多くの国際的なプロフェッショナルが集まる文化的な交流の場でもありました。その中でカオリさんとビルさんが出会ったことは、まさに時代と場所が生み出した奇跡の縁といえます。
スティーブ・マックイーンが仲人!信じられない結婚秘話
カオリさんとビルさんの結婚にまつわる最大の驚きエピソードが、仲人の存在です。なんとハリウッドの大スター、スティーブ・マックイーンが二人の仲人を務めたとされているのです。これには思わず「本当に!?」と叫びたくなりますよね。

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スティーブ・マックイーンといえば、「大脱走」「ブリット」「パピヨン」などの名作で知られる、1960〜70年代を代表するハリウッドのトップスターです。クールで反骨精神に満ちたキャラクターで世界的な人気を誇り、「キング・オブ・クール」とも呼ばれていました。その彼が日本人ダンサーとハリウッドのメイクアップアーティストの仲人を買って出たというのですから、当時の撮影現場がいかに人間的な温かさに満ちた場所だったかが伝わってきます。
詳細は明らかにされていませんが、「戦艦サンパブロ」の撮影スタッフの一員だったビルさんと、香港でのパフォーマンスで存在感を放っていたカオリさんのことを、マックイーンが引き合わせたか、あるいは結婚を後押ししたとみられています。映画という夢の世界を作り上げるプロフェッショナルたちに囲まれた場所で、世界的な名優の祝福を受けながら結婚するというのは、まさにドラマのような出来事です。
カオリさん自身もこのエピソードを大切に語っており、「仲人はスティーブ・マックイーン」という一言が、彼女のキャリアと人生を象徴するエピソードのひとつとなっています。ハリウッドという特別な場所ならではの、唯一無二の結婚秘話といえるでしょう。
結婚後の生活!ラスベガスとLAを行き来した夫婦の絆
1965年に結婚したカオリさんとビルさんですが、結婚後もすぐに同じ場所での生活が始まったわけではありませんでした。カオリさんはダンサーとしてのキャリアを続けており、エンタテインメントの都市ラスベガスでのステージ出演がメインの仕事だったからです。一方ビルさんはロサンゼルスのハリウッドを拠点に活動していました。

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そのため結婚後しばらくは、平日はラスベガスでステージに立ち、週末にはロサンゼルスに帰ってビルさんと過ごすというライフスタイルが続いていたといいます。現代の感覚でいえばいわゆる「遠距離婚」のような状態ですが、カオリさんにとってもビルさんにとっても、お互いのプロとしてのキャリアを尊重し合う関係だったのでしょう。
それぞれが自分の仕事を持ち、週末に再会して絆を確かめ合う生活は、ふたりにとって特別な時間だったに違いありません。カオリさんがラスベガスのステージで情熱的に踊り、ビルさんがハリウッドで映画のメイクを手がける。どちらもエンタテインメントの最前線で働くプロとして、互いを深く理解し尊重し合える稀有な夫婦関係だったといえます。
このような生活が続いていましたが、転機はカオリさんの身体に訪れます。ダンスの最中に膝の靭帯を痛め、ステージを続けることができなくなってしまったのです。この出来事が、カオリさんの人生を大きく変える分岐点となりました。
夫との出会いが人生を変えた!ダンサーからメイクアップアーティストへの転身
1971年、カオリさんはダンスの最中に膝の靭帯を断裂してしまいます。長年にわたってプロのダンサーとして輝き続けてきたカオリさんにとって、この怪我は二度と踊れないかもしれないという、人生を揺るがすほどの大きなショックだったはずです。
失意の底にいたカオリさんに手を差し伸べたのが、夫のビル・ターナーさんでした。「一緒にメイクの仕事をしよう」と誘ってくれたのです。この一言がカオリさんの人生を再び輝かせる起点となりました。ダンスという表現の世界からメイクアップという表現の世界へ。表舞台から裏方へと舞台は変わりましたが、人を美しく輝かせるという根本の想いは変わりませんでした。
夫の仕事を手伝いながらメイクアップの素晴らしさに目覚めたカオリさんは、急速にその技術と知識を吸収していきます。プロのダンサーとして培った美的感覚や身体表現への理解は、メイクアップアーティストとしての才能と完璧に融合しました。1978年には、日本人として初めてハリウッドのメイクアップユニオンの正会員となるという歴史的な快挙を成し遂げます。
夫ビル・ターナーさんとの出会いがなければ、カオリさんがメイクアップアーティストの道を歩むことはなかったかもしれません。そういう意味で、ビルさんはカオリさんの人生において、伴侶であるとともに最大の恩人でもあったといえます。
カオリ・ナラ・ターナーの夫との軌跡と現在!エミー賞受賞からスターオブザカラーまで
- 日本人初のエミー賞受賞!2003年「エイリアス」での快挙
- ハリウッドで活躍した主要作品!フラッシュダンスからパイレーツまで
- スターオブザカラーのプロデュース!世界で日本だけに販売された幻のコスメ
- KNTウィッグブランドとは?カオリさんのビューティービジネス
- カオリ・ナラ・ターナーの現在!90歳超えでも精力的な活動
- カオリ・ナラ・ターナーのプロフィール!生い立ちから現在まで
日本人初のエミー賞受賞!2003年「エイリアス」での快挙
2003年9月、カオリ・ナラ・ターナーさんはテレビ界のアカデミー賞と称される「エミー賞」を受賞しました。対象となったのは、人気スパイドラマ「エイリアス(Alias)」のメイクアップ担当としての仕事です。この受賞は、日本人として史上初のエミー賞受賞という歴史的な快挙でした。

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エミー賞は米国テレビ芸術科学アカデミーが授与する賞で、テレビ業界における最高の栄誉とされています。各部門に分かれており、メイクアップ部門での受賞はその年のテレビ作品の中で最高のメイクアップを手がけた人物に贈られます。「エイリアス」はジェニファー・ガーナー主演のアクションスパイドラマで、複雑なキャラクター変装や特殊メイクが求められる難易度の高い作品でした。
カオリさんはこの作品で、変装を多用するスパイというキャラクターの特性を活かした数々のメイクアップを担当。その技術の高さと表現力が評価されてのエミー賞受賞となりました。日本から移り住み、ダンサーとして活躍した後に38歳という遅いスタートでメイクアップの世界に入り、そこから25年の時間をかけてアメリカのテレビ界の頂点に立ったという物語は、多くの人に感動を与えています。
この受賞はカオリさん個人の栄誉であると同時に、日本人がハリウッドの最前線で世界と戦える実力を持つことを証明した出来事でもありました。日本のメイクアップ業界にとっても大きな誇りとなっています。
ハリウッドで活躍した主要作品!フラッシュダンスからパイレーツまで
カオリさんがハリウッドのメイクアップアーティストとして積み上げてきたフィルモグラフィーは、どれも錚々たる作品揃いです。1978年にメイクアップユニオンの正会員となってから、数々のビッグタイトルに関わってきました。
最初の大きな転機となったのが、1983年の映画「フラッシュ・ダンス(Flashdance)」です。この映画でカオリさんはダンサーのボディメイクを担当し、一躍注目を集めました。自らがダンサーとして長年活躍してきた経験が、ダンサーたちの身体表現を最大限に引き立てるボディメイクに活かされたといえます。
その後も「ゴーストバスターズ(Ghostbusters)」「ライジング・サン(Rising Sun)」「ラスト・サムライ(The Last Samurai)」「キル・ビル(Kill Bill)」「チャーリーズ・エンジェル(Charlie’s Angels)」「アメリカン・ビューティー(American Beauty)」「パイレーツ・オブ・カリビアン(Pirates of the Caribbean)」など、時代を代表する超大作に次々と参加。テレビドラマでも「アリー・myラブ(Ally McBeal)」などに携わり、映画とテレビの両方で活躍する万能なメイクアップアーティストとして地位を確立しました。
カオリさんが手がけた主な作品
| 作品名 | ジャンル | 特記事項 |
|---|---|---|
| フラッシュ・ダンス(1983) | 映画 | ダンサーのボディメイクで脚光 |
| ゴーストバスターズ | 映画 | ハリウッド超大作への参加 |
| ラスト・サムライ | 映画 | 日本を題材にした作品 |
| キル・ビル | 映画 | タランティーノ監督作品 |
| パイレーツ・オブ・カリビアン | 映画 | 世界的ヒット作 |
| アリー・myラブ | TVドラマ | 人気ドラマシリーズ |
| エイリアス(2003) | TVドラマ | エミー賞受賞作品 |
スターオブザカラーのプロデュース!世界で日本だけに販売された幻のコスメ
エミー賞を受賞した2003年11月、カオリさんはもうひとつの大きなプロジェクトをスタートさせます。それが「スター・オブ・ザ・カラー(STAR OF THE COLOR)」の日本向けプロデュースです。
スター・オブ・ザ・カラーとは、1975年にハリウッドの伝説的なメイクアップアーティスト、ウィリアム・タトル(William Tuttle)が開発したオリジナルファンデーションです。ウィリアム・タトルはオードリー・ヘップバーン、エリザベス・テイラー、グレース・ケリーといった大女優の専属メイクアップアーティストとして知られ、1965年にアカデミー特別賞(オスカー賞)を受賞した伝説的な人物です。
このファンデーションの特徴は、女優の肌をいたわりながら長時間の撮影に耐えられること、汗や水に強くアクションシーンでも崩れにくいこと、あらゆる人種の肌色に対応できること、そして素肌のようなナチュラルな仕上がりです。ハリウッドのメイクアップアーティストの8割以上が使うとされるほどのスタンダードコスメですが、アメリカですら一般向けには販売されていない「幻のコスメ」でした。
カオリさんは現場でもプライベートでもこのファンデーションを長年愛用しており、「日本の女性にも使ってほしい」との強い思いから日本向けプロデュースを名乗り出ます。2003年、世界で唯一、日本だけが一般向けに販売できるようになりました。「日本の女性が100歳になっても輝けるメイクアップを目指して」というカオリさんの言葉には、人生をかけた美への信念が込められています。
KNTウィッグブランドとは?そのビューティービジネス
カオリさんが展開しているビューティービジネスのもうひとつの柱が、「KNT(カオリ・ナラ・ターナー)」ブランドのファッションウィッグです。KNTはカオリさんのイニシャルから名付けられたブランドで、テレビショッピング大手のQVCでも取り扱われるほどの人気を誇っています。

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ハリウッドのメイクアップアーティストとして長年活躍してきた経験から、ヘアスタイルが人の印象を劇的に変える力を持つことを誰よりも理解しているカオリさん。KNTのウィッグは、手軽にヘアスタイルを変えることができるアイテムとして多くの女性から支持されています。
特に、いくつになっても美しくありたいという女性の気持ちに応えるデザインや素材選びが評価されており、年齢を問わず幅広いユーザーに愛用されています。カオリさん自身が監修に携わっているため、実際にメイクアップの現場で培ったプロの視点が製品に反映されているのが強みです。
スター・オブ・ザ・カラーのコスメラインとKNTウィッグの両輪で、カオリさんは日本の女性の美しさを応援し続けています。年齢を重ねても輝き続けるという、ご自身が体現しているメッセージをビジネスを通して発信しているといえるでしょう。
現在!90歳超えでも精力的な活動
1933年生まれのカオリさんは、2026年現在で90歳を超えていることになります。それでもなお現役で活動を続けているというのだから、本当に驚かされますよね。
現在のカオリさんはロサンゼルスを拠点に、メイクアップの素晴らしさを伝えるための講演活動やボランティア活動に力を注いでいます。長年ハリウッドのトップで培った知識と経験を次世代に伝えることに、今の活動の重心を置いているようです。日本の美容専門学校でも特別授業を行ったことがあり、若い学生たちに直接ハリウッドのプロの技術と心構えを伝えています。
夫のビル・ターナーさんを1992年に亡くされた後も、カオリさんはひとりでメイクアップアーティストとしての仕事を続け、スター・オブ・ザ・カラーのプロデュースやKNTウィッグブランドの監修など、精力的な活動を続けてきました。夫との出会いが人生を変え、夫との別れを経てもなおその志を貫き続けているカオリさんの生き方は、多くの人にとって深い感動と勇気を与えてくれます。
「日本の女性が100歳になっても輝けるメイクアップを目指して」という言葉通り、カオリさん自身が90歳を超えてもまさに輝き続けているのです。
プロフィール!生い立ちから現在まで
カオリ・ナラ・ターナーさんは1933年、東京に生まれました。幼い頃から芸術的な才能に恵まれており、6歳で日本舞踊を、7歳でタップダンスを始め、なんと12歳でプロのダンサーとしてデビューしています。
20歳でソロダンサーとなり、テレビや映画にも出演するなど幅広いフィールドで活躍。さらに日本文化使節団の一員として世界各国を訪問し、日本の文化を海外に紹介する外交的な役割も果たしました。この使節団活動が、後に海外での広い人脈と国際的な感覚を育む土台になったといえます。
1965年、香港での公演中に夫となるビル・ターナーさんと出会い結婚。1971年に靭帯損傷でダンサーの道を断念した後、夫の勧めでメイクアップの世界へ転身。1978年に日本人初のメイクアップユニオン正会員となり、1983年「フラッシュ・ダンス」で一躍脚光を浴びます。
2003年には「エイリアス」で日本人初のエミー賞を受賞し、同年スター・オブ・ザ・カラーの日本向けプロデュースを開始。現在も90歳を超えながらもボランティアや講演活動を通じて美の伝道師として活動しています。
カオリ・ナラ・ターナーさんの基本プロフィール
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1933年(東京生まれ) |
| 出身 | 日本・東京 |
| 現在の拠点 | ロサンゼルス |
| ダンス開始 | 6歳(日本舞踊)・7歳(タップダンス) |
| プロデビュー | 12歳 |
| 結婚 | 1965年(夫:ビル・ターナー) |
| メイクアップ転身 | 1971年(38歳) |
| ユニオン正会員 | 1978年(日本人初) |
| エミー賞受賞 | 2003年(日本人初) |
| 受賞作品 | 「エイリアス」 |
【まとめ】カオリ・ナラ・ターナーの夫はビル・ターナー!香港での運命の出会いとエミー賞受賞の全真相
- カオリ・ナラ・ターナーさんの夫はハリウッドのメイクアップアーティスト、ビル・ターナーさんです
- 出会いは1965年の香港で、スティーブ・マックイーン主演映画「戦艦サンパブロ」の撮影中でした
- スティーブ・マックイーンがふたりの仲人を務めたという信じられないほど豪華な結婚秘話があります
- 結婚後はカオリさんがラスベガスでダンサーとして活動し、週末にLAの夫のもとへ帰る生活をしていました
- 1971年に靭帯を損傷してダンサーを引退し、夫の勧めでメイクアップの世界へ転身しました
- 1978年に日本人として初めてハリウッドのメイクアップユニオンの正会員となりました
- 1983年「フラッシュ・ダンス」のボディメイクを担当し一躍ハリウッドで名を知られるようになりました
- 「ラスト・サムライ」「キル・ビル」「パイレーツ・オブ・カリビアン」など錚々たる大作に参加しています
- 2003年「エイリアス」のメイクが評価され、日本人初となるエミー賞を受賞しました
- 2003年には幻のコスメ「スター・オブ・ザ・カラー」の日本向けプロデュースを開始しました
- 夫のビル・ターナーさんは1992年に逝去されましたが、カオリさんはその後も活動を続けています
- KNT(カオリ・ナラ・ターナー)ブランドのウィッグをプロデュースし、QVCでも取り扱われています
- 現在は90歳を超えながらもボランティアや講演活動でメイクアップの素晴らしさを伝え続けています
- 「日本の女性が100歳になっても輝けるメイクアップを目指して」という信念を90歳超えで体現しています
- カオリさんのプロフィールは東京生まれ・1933年生まれ・現在ロサンゼルス在住です

